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更新日:2023年12月1日

市長コラム(平成28年7月)

出世城という歴史的価値

4月14日に発災した熊本地震は、強い地震が連続する、未曽有の大震災となりました。広域に大きな被害が発生しましたが、その中の一つに、日本3大名城と謳われる熊本城があります。

「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を持つ石垣は無残に崩れ落ち、天守閣をはじめとする建物もひどく壊れ、壊滅的な被害となりました。復興には、少なくとも10年以上の歳月と200億円以上の費用が掛かるのではないかと推測されています。熊本地域を超えた国家的な文化財ですから、広範な支援の下に、復興に取り組むことになると思いますが、費用面も含め大変な事業です。

一方、先日政令指定都市市長会の会合が名古屋市で開かれ、視察先として名古屋城へ案内されました。現在河村市長の肝いりで本格的な再建、整備が行われています。総工費150億円で整備中の本丸御殿は、3分の2が完成し、既に順次公開されています。

今後は、天守閣を木造で再建する計画があるそうですが、総工費は400億円から500億円もかかるということです。しかし、名古屋城は戦災で焼失するまで、築城された当時の城が残っていたので、詳細な実測図もあり、忠実に復元すれば、文化的価値は極めて高いそうです。

浜松にも浜松城というシンボルがありますが、明治時代に城郭が取り壊され、残念ながら図面も資料も残っていません。唯一残された野面積みの石垣の上に、昭和33年に天守閣が建てられましたが、城の復元と言えるものではなく、規模的にも、徳川の世になってから拠点として整備された熊本城や名古屋城とは、比ぶべくもありません。

しかし、戦乱の時代が終わった後に築城された両城に比べ、家康公が29歳から45歳まで居城にされ、宿敵武田氏や今川氏に打ち勝ち、天下平定の礎を築いた城ですから、歴史的な重要性は、はるかに優っていると思います。その証拠に、家康公は、浜松へ来られた時は5万石の小大名でしたが、浜松から駿府へ移られる時には、100万石の大大名になっていました。また江戸時代には、代々の城主の多くが、江戸へ上って出世をしたので、縁起のいい城として「出世城」の異名も頂戴しています。

ハードの城郭としては、熊本城や名古屋城にはかないませんが、ソフトとしての歴史的価値は負けていませんので、来年放映予定の大河ドラマ「おんな城主 直虎」などをきっかけに「浜松城」や「出世の街浜松」を、大いにPRしたいと考えています。

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