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更新日:2021年7月30日
ひとびとが多く集まり、活気ある状態となっている盛り場では、劇場や映画館等娯楽の場や飲食店、商店等が集まり、にぎやかな場所が形成されています。
肴町(中央区)には勝鬨亭という寄席がありました。勝鬨亭には古今亭志ん生や柳家金語楼等の落語家も出入りをしていました。それらの落語家たちの世話をしていたのが、主人の馬淵すぎです(通称ちぃちゃん)。
やがて時代のうつりかわりとともに、ビリヤード場「かちどきビリヤード」にすがたをかえ、現在に続いています。
▲現在のかちどきビリヤード
▲肴町付近の地図(大正10(1921)年「浜松市街明細地図」)
千歳町や肴町(ともに中央区)には多くの芸妓置屋があり、千歳町には中央検番がありました。料理屋等のお座敷では、芸妓が呼ばれて活躍していました。現在でも数は少なくなりましたが、活躍されている芸妓がいます。
旧浜松市内には他に北部(中央区元浜町)、東部(中央区相生町)の検番がありました。
▲全国産業博覧会(昭和6年)で舞踊を披露する芸妓
▲千歳町付近の地図(大正10(1921)年「浜松市街明細地図」)
もともとは、道具等に各家の家印をつけることにより、自らの占有や所有を示していたものでした。それが江戸時代の中頃から多くの商家でも用いられ、各家の象徴として扱われるようになったといわれています。
まちなかの商店でも家印をもっていた店が多くありました。商店が作成した引札やうちわ、通い徳利等にも家印をみることができます。写真の右横にあるのが、それぞれの家印です。
現在のまちなかでも看板等に家印を掲げている店が残っています。
▲うちわ包紙(笠井屋呉服店)(中央区田町)
▲引札(溜屋幸作)(中央区成子町)
▲通い徳利(八百庄)(中央区成子町)
浜松の城下町に関する古い文書・商売に関するもの・まちなかの生活の様子がわかるもの
上記のようなものをお持ちの方がいらっしゃいましたら、歴史を後世に伝えていくためにも、博物館までご連絡ください。是非、ご協力をよろしくお願いいたします。
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